2010-02-25[n年前へ]
■「WEBコンテンツの変化」 (初出:2005年11月20日)
twitterなど、マイクロブログが主流になっていますが、時代はいつも移り変わるものです。そろそろ、次のWEBコンテンツが現れても良さそうな気がします。
2010年の初春に、5年前に書いた記事を眺め、過去の未来の現在に立つ私たちの、その私たちの先にあるだろうWEBコンテンツの変化について、思いを馳せてみたいと思います。
「個人の"ホームページ"の時代」
私が「インターネット」を眺めるようになったのは、WWWブラウザのNCSA Mosaic が登場した1993年過ぎからでした。その直後、使うブラウザは Netscape Navigator へと変わりました。そして、1996年くらいから「さまざまな個人が書いているページ」を楽しむようになりました。例えば、その1996年に始まったサイトで例を挙げてみると、「今日の必ずトクする一言」や「我が妻との闘争」といったサイトを眺め楽しむようになったのです。その二つで代表されるような「個人が趣味的記事を書く"ホームページ"」が盛んだ、と言われた年がそれから2.3年くらい続いたような気がします。今でも、細く長く続く素晴らしい「個人の"ホームページ"」がその頃生まれました。その頃、私も自分でもサイト hirax.net を立ち上げ、そこで雑文を書くようになりました。
「WEB日記の時代」
その直後、おそらく1998年頃からだったと思うのですが、時代は(今度は)「日記サイト」だということになっていました。「個人の"ホームページ"」の時代は終わり、「個人が書くWEB日記」の時代が始まった、というのです。私のサイトが雑誌に初めて取り上げられた時も、実は「日記サイト」という扱いでした。(今でもなぜそうなったのかはよくわからないのですが…) その時代を代表するサイトは、間違いなく「ちゃろん日記(仮)」でしょう。「WEB日記の時代」からは、そんな素晴らしく高い密度の文章が生まれました。
なぜ、「個人の"ホームページ"」の時代は終わり、「個人が書くWEB日記」の時代だと言われたかというと、「個人が多くの人に読まれるような記事を書き続けることは難しい」せいだったと思います。インターネットの世界で「アクセス数が多くなる」ためには、多くの人が繰り返しそのサイトに人が訪れるためには、「続ける」ことが欠かせません。しかし、「個人が自分のオリジナルの記事を書く」「ある程度の長さの文章やコンテンツを作る」ということを頻繁に更新し、それを長く続けるのは難しいと思われたのだろう、と感じました。そしてさらに、「(けれど)個人が自分のことに関する日記を書く」ことなら、頻繁な更新もできるだろうし、それを長く続けることもできるに違いない、と考えられたせいだったような気がします。
「掲示板の時代」
そして、またしばらくして、今度は「個人のWEB日記」の時代が終わり、「掲示板」の時代がやってきました。「自分の毎日に関することでも、やはり(個人が)頻繁にある程度の長さの文章を書き続けることは難しい」けれど、複数の集団であれば「(いくら頻繁であっても)多数の人が感想文を書き連ねるなら簡単」だし、「それを長く続けることも容易だ」ということだったような気がします。似たような趣味の人が「感想やコメントを付け合う」「掲示板の時代」(という風に記事などで取り上げられる)時代が少しの間続いていたような気がします。もちろん、その頃生まれた「2ちゃんねる」は、(言うまでもなく)今では超巨大な空間になっています。「色々な問題」が指摘されたこともありましたが、そのような掲示板が色々な多くのものを生み出してきたことも確かな事実に思えます。
「ニュースサイトの時代」
そして、次の時代は「ニュースサイト」の時代でした。そういう風に言われた理由を、(強引な理屈ではありますが)作り出してしまうなら、「複数の人であっても、一つの同じ趣味の話では長く続かない」というような意識があったような気がします。「例え、複数の人であっても、自分たちの中の話題だけでは長い期間にわたって書き続けることはできない」けれど、「(種々の)他サイトの記事」に関して、「ごく短い - ひとこと - の感想を付記することで書き連ねる」ことならば、比較的頻度高く更新を続けることができる。しかも、他サイトに「面白い記事」があれば、その「面白さ」へ導くことで読者を楽しませることができる。そして、それを孫引きするなら、多くの人がすることができる。そんな風に「頻度高く・長く続ける」ことができるからこそ、読者も楽しい、というようなものだったような気がします。これも強引に例を挙げてしまうなら、「俺ニュース」「そして、その孫引きニュースサイト」のようなものがその例になるかもしれません。
「ブログの時代」
そして、次の時代は「ブログの時代」でした。「ブログの時代」を単純に言うならば、
「ブログの時代」 = ( 「WEB日記」 + 「ニュースサイト」 + 掲示板 )
というような感じです。少なくとも、私の勝手な印象ではそんな感じでした。「長く頻繁に書き続けることが難しい」ということに対して、「個人が自分の近況を書いたり」「個人が他サイトの記事の感想を書いたり」「それに対して、複数の人が(ごく短い - ひとこと - の)コメントを付け合ったり」という、これまでの時代の「メリットの貼り合わせ」をしたシステムです。そして、それがもしかしたら「現在の時代」なのかもしれません。
「コメント付きソーシャル・ブックマークの時代」
ところで、最近は「コメント付きソーシャル・ブックマーク」の時代なのかもしれない、と思うことがあります。それはつまり、「複数の人が、他のサイトに関して、 - ひとこと - の感想を付ける」というシステムです。「一人の個人が、自分のサイトで長い文章を頻繁に書くことが難しい」のであれば、ちょうど「その逆のもの」ということになります。一例を挙げるならば、「はてなブックマーク」のようなものです。「大勢の人が共同作業でニュースサイトを運営し、大勢の人がその他サイトの記事に対して - ひとこと - コメントをつける」というシステムです。いわば、
「コメント付きソーシャル・ブックマーク」 = 多数の人が運営する「"他サイト"ニュースサイト + "ひとこと"掲示板」という感じのものです。実際、WEBの世界で「ニュース」となるような記事は、「はてなブックマーク」のようなところで取り上げられたものが多いような気がします。
インターネット上のWEBコンテンツは、今のところ、「短く」「繋がる」という方向に動き続けています。これから、先の未来のWEBコンテンツはどうなるのでしょうか? (この記事を図解したものを図解 「WEBコンテンツの変化」に書きました)
2010-02-26[n年前へ]
■図解 「WEBコンテンツの変化」 (初出:2005年11月20日)
昨日書いた、 「WEBコンテンツの変化」の、「種々のWEBコンテンツの違い」を図解してみました。
これまでWEBコンテンツとして登場し(参考:教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 )、「その頃に流行りとされたもの」たちを適当に立体空間に並べてみたのです。昨日の文章は、これらのものが「どう移り変わっていったか」、あるいは、最近のものが「以前あったものをどのように組み合わせたか」の感想を書いたものであったわけです。
今日描いてみた図は、「コンテンツが取り扱う話題」が「自分独自」のものか「他からの派生物」か、文章の長さが「短い」か「長い」か、そして、書き手が「複数」か「一人」かで、 「WEBコンテンツの変化」に登場した「コンテンツ種」を示したものです。
前回の文章で書いた、「続けることの大変さ」で言うならば、左下手前が「書き続けることが難しい種類のもの」で、右上奥が「続くことが容易に見える種類のもの」ということになります。
ちなみに、この図中で一番「書き続けることが難しい種類のもの」とされている「オリジナルWEB日記」とは、「一回だけ、短い期間だけなら、書くことは決して困難なものではない」と思います。けれど、それを続けることはとても難しい、というような「感じ」でそこに配置してみました。もちろん「今この瞬間の私」がふとそう思った、その程度の曖昧な「感じ」です。
さて、今回作ってみた図は「主観的かつ大雑把に、実に適当に作ってみたもの」です。きっと眺める人ごと・眺める視点ごとに、色んな分類や配置をしたくなるのではないだろうか、と思います。そこで、そんな風に思った方のために、今回作った図のオリジナルファイル(PowerPoint のPPTフォーマット)をここに置いてみました。
こんな図が何の役に立つかは、はなはだ疑問ではありますが、いくらでも思うがままに料理して、好きなように変えて、そして自由に使って下さって料理して下さって結構です。あなたの思うWEBコンテンツの配置図は、一体、どんな感じのものになるのでしょう?
2010-06-18[n年前へ]
■立体表示のブログシステム始めました!?
立体表示のブログシステムをやってみたい、と時折思います。バナー画像も、使われているイラストも、もちろん、文章も適切に立体処理されている、というものです。イメージ図を適当に描いてみると、下のような具合です。右目にシアン(青+緑)・右目に赤色の赤青メガネをかけて眺めてみれば、立体的に見えることがわかると思います(この画像-記事-はRSSリーダーでなく、ブログ本体から眺めると面白いと思います)。
もちろん、立体の表示方法と言ってもさまざまなやり方があるわけですから、たとえば赤青メガネ用に処理されたアナグリフのデータを格納しておくのではなく、データは使いまわしし易いフォーマットとして格納した上で、アクセスがあった段階で(相手の環境に合わせて)適切なレンダリングを行った上で、データを送信する、という具合です。
一番好ましいのは、送信するデータ自体も汎用的なフォーマットで行い、クライアント側で自身の環境に合わせてレンダリングを行うというものでしょう。胸を張って「立体表示のブログシステム始めました。」と言うことができるような日は、一体いつ頃訪れるのでしょうか?
未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。
未来は我々が決めるものであり、宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる。
アラン・ケイ
ところで、送料込み120円ほどなら、赤青メガネを欲しいと思われる人はどのくらいいるものでしょう?そんなことが知りたい今日この頃です。
2011-12-14[n年前へ]
■「書くこと」を決める「道具」を作る、ということ
自分のサイトの「走り書き」として、ハイバー日記システム(hns)を入れたのが、10年以上前。その頃書いた走り書きは、今の時代の"twitter"で書かれているようなことだった。思ったことを、ただ書いていた。
hnsという道具をカスタマイズしつつ使っていたけれど、hnsに書く内容も少しづつ変わった。変わったのは、読み手を意識せざるをえなくなった、ということが一番の理由だったと思う。インターネットという道具に、「思ったこと」のうち、「考えたこと」は書くにしても、「感じたこと」はあまり書かなくなった。
その後、サイト自体をすべてRailsという道具で構築し直した。HTMLベタ書きの記事と日記(hns)を統合し、サイト記事をArticle, Memo, Logo, Techlogという4つのクラスに分類した。Articleは、「ある程度まとまった技術的な内容で、何らかのオチを含むもの(できるかな?)」、Memoは「自分で作った何らかのもの」、Logoは「(読んだ・見た)メモしておきたい他人の言葉」、Techlogは新技術情報や技術メモ、だ。
自分が使う道具を、そういう分類・考えのもとに作った結果、ArticleクラスはMemoクラスに浸食され、そしてまた、「感じたこと」や「考えたこと」も書かなくなった。
そこで、(まったく使う気がなかった)twitterを使ってみることにした。もしかしたら、後で思い起こしたくなる「考えたこと」や「感じたこと」を扱うことができるかもしれない。
そろそろ、道具を作り直すべき時期が来ているのだろうか。「書く内容」をも決めてしまうだろう「道具」を作り直すとしたら、どういう風に作れば良いだろう?
そしてまた、こう思う。道具の名前が「日記」でも、「ブログ」でも、「書くこと」を決める「道具」を作る側には(そこから作られる)世界をどうしたいかという 「夢」と「覚悟」がいる、と思う。