2010-04-13[n年前へ]
■拡散方程式で考える「あみだくじ空間」と「(見えない)時空間ループ」
拡散方程式で考える「あみだくじ空間」と「空間ワープ」の続きです。前回は、”縦線をまたぐ”ような線が、離れた場所を強引に結びつけ、その空間どうしを”ワープ”できるようにすることで、隣り合った空間にさせてしまう、という何やら不思議な存在であるのかもしれない、ということを考えてみました。
それでは、次は、こんな場合ならどうしたら良いでしょう?今度は、横線同士が交差していたり(下図のExample1)、同じ縦線同士を繋ぐ線があるような場合(下図のexample2)です。
あみだくじを拡散方程式で解くときには、縦線の「横方向」が「空間」を意味します。それに対して、「縦方向」はすなわち「時間」を意味することになります。「横線同士が交差する」ということは、異なる縦線の間で「時間」が共通のものでなくなってしまう「奇妙な線」であるように思えますし、「同じ縦線同士を繋ぐ線」はまるで過去や未来へ「タイムトリップ」する「不思議な線」に見えます。
今回考えてみたいのは、こういったスペシャル技を、ちまり時間軸を捻じ曲げるような「線」をどう扱うか、ということです。「どう扱うか」というのは、「どう考えると、単純に思えるか」ということです。「単純で共通なルールで記述できるか、と言い換えても良いかもしれません。
なぜかというと、この「線」について考え出すと、少し「スッキリしない」というか「気持ちが悪い」ことが出てくるからです。具体的には、「どの経路を考えてみても、通らない線がある」とか「横線に対して、(両方向に進む経路があって欲しいのに)片方向に進む経路しかない」、あるいは、「線を追いかけていくと、下から上に遡らなければいけない部分がある」ということです(下図参照)。
この「時空間を歪ませるようなスペシャル線」は一体どう扱う・どう考えれば良いのでしょうか?そんなに考え込むことでもないのかもしれませんが、あみだくじというものを考えるとき、「通らない線がある」「横線に対して、(両方向に進む経路があって欲しいのに)片方向に進む経路しかない」「線を追いかけていくと、下から上に遡らなければいけない部分がある」というのは、あまりに「おさまりが悪いこと」であるように思われます。
そこで、こう考えてみることにしました。下図のように、時間を捻じ曲げるているような線の部分には実は「縦線が隠されている(そういう仮想縦線を考えてみる)」と考えてみるのです。そして、その(仮想)縦線は最下部と最上部が繋がっていて、最下部からさらに下にさがると…アラ不思議、最上部にワープして、そこから下に降りていく、という具合に考えてみるのです。それが、下の図です。
すると、例外的な現象に思えていた不思議なことが、ごく当たり前の普通のあみだくじに見えてきます。あみだくじを辿る線は、いつでも下方向にしか移動しません、つまり、「線を追いかけていくと、下から上に遡らなければいけない部分がある」という現象は消えますし(仮想線の最下部でも、(仮想線の最下部と最上部が連結されているだけで)その空間上は下に落ち続けているのみです。)、「(いろいろな経路を考えたとき)通らない線」というものもなくなりますし、「横線に対しては、両方向に進む経路が必ずある」という、ごくあたりまえのあみだくじに思えてきます。(下図参照)
というわけで、横線同士が交差していたり、同じ縦線同士を繋ぐ線がある時には、そこには実は見えない縦線が隠されていて、その縦線はたとえるなら上下両端が繋がったことで「明確な端を持たない」ということだけが特殊だ、と考えてみるのです。「実は目には見えづらい空間(縦線)があり、そこでは時間軸は永遠のようでなぜかループしている」というわけです。
こんな風にあみだくじを、あみだくじの「スペシャル線」から考えてみると、何だか不思議なくらい惹かれます。そして、考えていくうちに、変に思えていたものが、いつの間にか、ひとつの綺麗な星座のように見えてきます。それは、とても面白い感覚です。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができる"Connecting Dot"ってパズルがあるじゃない? バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良かったりするのかな?って時々思ったりするの。
種ともこ 「どこかの学園祭コンサートで」
(目の前にいる人・目の前にある悩みを)ボーと見ていると、おもしろいものが見えてくる。その面白いものが見えてくることを"コンステレーション"と呼びます。"コンステレーション"というのは「星座(を意味する言葉)」です。
河合隼雄 「河合隼雄 その多様な世界―講演とシンポジウム 」
星が散らばっている時、その星を結んだ瞬間が一番楽しい。
浅草キッド 水道橋博士
2010-04-16[n年前へ]
■「あみだくじ無限ループ」を生み出す「(見えない)時空間ループ」
「なぁ、あみだくじで無限ループって作れるとおもうか?」という面白いスレッドを読みました。
なぁ、あみだくじで無限ループって作れるとおもうか?このスレッドの中では、結局、「終わらないあみだくじは存在しない」という結論になっています。
けれど、普通のあみだくじでなく、拡散方程式で考える「あみだくじ空間」と「(見えない)時空間ループ」で扱ったような、横線同士が交差していたり、同じ縦線同士を繋ぐ線があるような、普通ではないけれど「よくやりがちな」あみだくじなら、どうでしょうか。しかも、前回考えたように、そういう特殊線には実はゴールとスタート地点が繋がっている縦線が隠れているとしたら、どうでしょうか?たとえば、前回描いた下のような例です。
「ゴールとスタート地点が繋がっている縦線」があるとするならば、「終わらないあみだくじ」は存在する。けれど、そのスタート地点もゴール地点も表には出てこない(隠されている)からその存在を意識しないだけ、ということになります。具体的には、上図に緑色の線で描いた経路です。この経路は、「終わらない」「無限ループ」になっています。ただし、その経路は(あみだくじの参加者にはスタート地点が)見えない「仮想縦線」なので、その存在に気付かないだけ、という具合です。
横線同士が交差していたり、同じ縦線同士を繋ぐ線の後ろに「仮想縦線」が隠れていると考えてみると、あみだくじの「(スタート地点とゴールとの)一対一対応といった特性はそのままに(それ以外の特性も前回考えたようにそのままに)、「あみだくじの無限ループ線」が存在しうる、ということになります。
何だか、ちょっと面白いと思いませんか?
2014-10-05[n年前へ]
■画家が使った「色」を「距離」にした「画家の空間」を描いてみよう!?
昨日は、画家の「代表色」を当てる目(色)利きゲームをしてみたので、今日は画家の代表作をGoogle画像検索で収拾し、それら名画に使われている使用色を「距離」として、つまりは色空間での距離をものさしにして、画家の「地図」を描いてみました。
そんな色空間を眺めてみると、たとえばゴッホが描いた絵画の色空間を眺めてみると、左(上)の領域、つまり、緑(や赤)を主体にしたものよりも、それ以外の青や黄色の世界が「眩しい昼」や「星輝く夜」っぽくて好きだなと、自分の好みを感じたりします。
あるいは、フェルメールの絵画を集めた世界地図を眺めると、…使われている色の違いというのか、あるいは、その明るさ・鮮やかさの違いというのか、北向きの窓から室内に差し込む光を頼りに描かれた絵はぼんやりとしていて、明るさが足りない日本海側の冬景色…に見えてきたりします。
ちなみに、「ゴッホの世界地図」を作ってる途中の計算動画は、下のような感じ。まるで、ゴッホの絵画たちがみんなでダンスを踊ってる感じ。マティスが描いた絵画で眺めてみるのも結構面白いかも。
2016-01-17[n年前へ]
■エッシャーが作り出した3次元球体彫刻を「全天周投影」して眺めてみたい!?
不思議な幾何学的世界を描いたオランダの画家エッシャーは、現実に触ることができる立体物つまり3次元体のアートも作り出しています。1940〜1950年代にエッシャーが作った3次元球体彫刻を眺めていると、なぜだか「あまり面白くない」と感じました。
その理由を考えると、3次元球体を眺めても、そのごく一部しか見通すことができないためではないか?と感じました。球体の表面に「空間を規則正しく埋め尽くす模様」が描かれていたとしても、部分的にしか「見えない」ために、2次元平面に描いた作品で感じるような「空間が不思議に意味を持った模様で埋め尽くされている」という印象を、ほとんど受けないのです。だから、今ひとつ面白く無い…と感じてしまうのではないか?と感じたのです。
空間表面を規則正しく充填する作品は、手に持てるような物体として表現するのではなく、自分を360度の全方向から包み込む(プラネタリウムのような)全天周画像として投影し、その世界の中に入り周囲4πステララジアンの空間全てが不思議な模様で連続的に埋め尽くされている風景を眺めた方が面白いような気がします。
「プラネタリウムドームに投影するエッシャーの世界」の上映会…眺めてみたいと感じる人・やってみたい!と思う人たちが少なからずいるのではないか?と想像してみたりします。
2016-01-26[n年前へ]
■M.C.エッシャーのRelativity"を全天周で眺めてみよう!?
「手作りプラネタリウムと3D映像全国出張投影」の工房ヒゲキタさんに会いに、新宿2丁目近くの中華料理屋に行った。せっかくなので、以前から「M.C.エッシャーの立体世界を全天周プラネタリウムで眺めると面白いはず」と思っていたので、そんな雑談をするために3Dデータを(下に貼り付けた既存データを使って)作ってみた。
エッシャー自身も立体的なアート、周期的パターンが繰り返された球状の木製模型を作っていたりする。…けれど、それらは実際に眺めてみても結構つまらなく感じられてしまう。なぜかと言えば、そんな風に緻密に空間を埋め尽くしたアートであったとしても、そのごく一部しか眺めることができないとしたならば、新鮮さや面白さがほとんど消え失せてしまうからだ。
だとしたら、エッシャーの非現実かつ現実的な世界に360度全天周で入り込むことができればとても興味深いはず!というわけで、今朝は、幾何学的に無矛盾な "Relativity" を全天周で眺める準備をしてみた。幾何学的に無矛盾というのは、四方に配置された階段や壁は、そこに佇む人の向きが無重力で不思議なだけで、3次元空間的に特に不思議なところがあるわけではない、という意味だ。
エッシャーが作り出した、非現実だけど妙にリアリティを備えた世界に入り込み、周囲の世界全てが奇妙に埋め尽くされていたとしたら…きっととても新鮮で楽しいと思う。M.C.エッシャーのRelativity"の世界は、全天周のプラネタリウムで眺めてみたら、絶対楽しいと思う。