2009-03-03[n年前へ]
■爆笑問題の太田光と向田邦子
爆笑問題の太田光が向田邦子について、NHKの「わたしのこだわり人物伝」で語った内容が詰まっている。「私のこだわり人物伝 (2005年6/7月) (NHK知るを楽しむ (火)) 」
2010-12-29[n年前へ]
■人の会話の上で成り立つ「学問」
「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか—天才数学者の光と影 」中の、小島定吉のウィリアム・サーストンに対する言葉。
優れた定理を証明し続けることが必ずしも数学の発展につながらず、むしろ数学者のやる気をそいでしまうこともある、と知ったことは、博士が「数学は、人の会話の上で成り立つ学問だ」と考えるひとつのきっかけになったのかもしれません。さらに、ウィリアム・サーストン自身の言葉。
自分の研究の進め方に二つの問題点があると反省しました。(ひとつは)自分の理論のバックグラウンドを丁寧に説明せず、いわばわかる人にだけわかれば良い、という書き方に陥っていたのです。もうひとつは、周囲が「答え」を期待しているのだと勘違いしていたことです。だがそうではなかった。皆が求めていたのは答えではなく、どうやって考えたかという過程だったのです。
2011-01-27[n年前へ]
■「自分の中」や「できること」が見えますか?
何年か前のNHK朝の連続ドラマ、「ちりとてちん」のDVDを借りて、ノートPC で眺めていると、こんな台詞が聞こえてきました。
「自分の中にないもんやろうとしたらあかんで。
「できるかわからないこと」を引き受けるかどうか考えるとき、「それをできるか」どうかをということに頭を悩まされると同時に、「それが自分の中にあるか」ともついつい考えてしまいます。なぜかというと、「自分の中にないもの」をしようとしても、どうしても、いつか気持ちが続かなくなって・・・、結局できなくなってしまうからです。
「できること」と「自分の中にあること」は違います。「何かをできるか」ということと「その何かが自分の中にあるか」ということは、決して同じことではないのだろうと思います。「自分の中にあるけれど、できないこと」ということもあるのかもしれませんし、「自分の中にないのに、できること」ということも、もしかしたら、あるのかもしれません。「ずっと、できなかったことなのに、いつかできるようになる」こともあるかもしれないと思ますし、「今はできても、ずっと続ける気持ちにはなれないこと」だって、あるのかもしれません。
「自分の中」や「できること」は、見ることができるのでしょうか。それとも・・・見ることはできないものなのでしょうか。
さてさて、今日のタイトルはテレビドラマ「不揃いの林檎たち」のサブタイトル意識です。この記事の「関連お勧め記事」を読み進めると、色んなテレビドラマや、そのサブタイトルが浮かんでくるかもしれません。
2011-05-27[n年前へ]
■「30km以上離れて撮影」のヒミツ
NHK放送技術研究所に行くと、ここ何ヶ月か眺めたTV画面に示されていた「30km以上離れて撮影」という文字がパネルとなって張り出されていました。
画面中に映し出される「○×km以上離れて撮影」という文字を見ながら、その処理の中身をずっと知りたいと思っていたので、そうか、あの見慣れた映像はヘリコプターから防振装置付きカメラで撮影した上で、その映像に「映像揺れ補正」+「鮮明化処理」+「2倍拡大」で実現されていたのかと、興味深く感じました。
「鮮明化処理」と短く書かれた処理内容について、もう少し詳しいことを知りたかったりもします。また、最初は不自然だった「○×km以上離れて撮影」映像が徐々になっていったヒミツも知りたかったりします。
果たして「30km以上離れて撮影」の映像には、一体どのような処理がかけられていたのでしょうか。普通によくある処理だろうとは思いますが、その試行錯誤の過程を知りたいものです。