2011-02-16[n年前へ]
■「たどり着く」ための「3つの力」
「3つの力」を手に入れたいなと腹黒く思うことがあります。・・・神を恐れぬ「3つの力」をギリシャ神話風に言えば、それは「背の高い草が生える海岸近くに立つ古い灯台から、海岸に辿り着くために必要な3つの力です。
「3つの力」のひとつめは、「灯台の上から、海岸に向かう方向を見極める力」です。背の高い草の中に入ってしまえば、方向を見失い、どの方向に進んだら良いのかわからなくなります。けれど、そんな中でも灯台の上から眺めれば、草原を抜けて海岸まで辿り着くために向かえば良い方向がわかります。そんな「灯台の上から草原の上を抜けて浜辺までの道のりを見極める・見通す力」です。
ふたつめは、「背の高い草むらの中を歩く力」です。目の前にある草を刈り、着実に前へと進んで行くちから」です。もしかしたら、それは「実装力」といったものと似ているのかもしれません。
そして、みっつめが「その方向に進むことには価値があると築く力」です。「あの方角にはきっと何かがある、歩き続けることには価値がある」と感じさせるための力です。…そんな方角にいるだろう客を見つけ、そんな人たちと自分たちを繋ぐ力です。時にそれを人は「営業力」と呼びます。
…といっても、大層な話しではなくて、これらみっつのすべてを人はみんな備えていることが多いに違いないと思っています。つまり、誰もが備えているだろう力を、自分も人並みに欲しい・手に入れたいと贅沢にも考えたりします。
2011-09-21[n年前へ]
■「実装」の「迷路」
昨日、迷路を描くRubyコードを書きました。 コードは「壁が交わる格子点」基準で書きました。 壁基準で書いた方が、簡単に迷路が作れ・右手法での迷路解法プログラムを書くのも簡単だろう、と考えたからです。 しかし、コードを書いている途中に、壁基準のコードだと複雑なことをしようとする時に「うまくない」かもしれないなぁと、ふと考えました。 それは、床を基準に格子点を作り出し・処理させた方が使い回しがきくかもしれない…といったような雑念でした。
しかし、床基準でコードを書いたとしても、それはそれで「うまくない点/苦労する点」に思い当たり、「壁(壁格子点)基準で書けば良 かった」と隣の芝生が青く見えたのかもしれない、とも思います。
何か目的があったとき、その目的を実現するものをどう実装すれば良いのだろう、とよく考えます。 どのやり方が良いのだろう?そもそも一体どういうやり方をしたら良いのだろう?と悩むことがあります。 あんなやり方/こんなやり方…さまざまな実現/実装方法を数多く経験したことがなければ、目的地にたどり着くまでにとても苦労したり、あるいは、目的地に辿り着くことすらできなかったりするのではないか、と思います。
経験が少ない状態で、経験以上に大きな看板を掲げて何かを作り始めると、ほとんどの場合失敗するように思います。 経験値ゼロで、役立つ武器もない状態で、巨 大な実装の迷路へ足を踏み入れたりすると…ゴールまで辿り着けるわけがありません。
結局は、経験値を稼がないといけないのだろう、と思います。 最初は小さなモンスターを相手に、小さなことからコツコツとの精神で経験値を貯めていくしかないように思います。 そして、経験値が高くなり、使える武器を少しずつ揃えていけば、中くらいの迷路の森を抜けることはできそうです。 さらには、経験値MAXになって・武器が十分揃ったならば、大きな迷路ですら抜けることもできるかもしれません。
そうすれば、壁に囲まれても目的地を見失うこともなくなり、あるいは、必要とあれば、迷路の壁をぶち破り突き抜けることもできるようになるかもしれません。
2012-03-08[n年前へ]
■何かを作ったことがない人は…
@tamagotaso "何かを作ったことが無い人は「これくらいなら自分でも本気出せば作れる」と思ってる"
それと同時に、「そんなものは作れるわけがない」と思いがちな「何かを作ったことが無い人」も多いように思う。
「何かを作ったことがない」人は、世の中にあるさまざまなものを「作り上げる」ことの難しさも、世の中にはまだない何かを作ることができる可能性も、その両方がわからないのだろう、と思う。そういう人だからこそ、ずっと「何かを作ったことがない」というステータスのままでいる…のではないだろうか、とふと考える。
2013-06-20[n年前へ]
■「たった3行で書けた」もの…「それ全然ガウシアンフィルタじゃないです」
「たった3行で書ける、iPhoneでお手軽ガウシアンフィルタ」という記事を読みました。
特別なライブラリやカテゴリを使わなくても、iOS標準のフレームワークだけで、超簡単にガウシアンフィルタ(ぼかし効果)をかけるテクニックを紹介します。…記事を眺めながら、違和感を2つ感じます。
たった3行で書ける、iPhoneでお手軽ガウシアンフィルタ(iPhoneアプリ開発トピックス)
まず1番目の違和感は、記事中に貼り付けられているボカし画像(たとえば右に貼り付けた画像)が、「どう見てもガウシアンフィルタじゃない」ということです。「滑らか」じゃなくて、近傍線形補間特有のテクスチャが自己主張激しく現れています。
そして2番目の違和感は、「画面上で拡大補完をするという状況でガウシアンフィルタを掛けたのと同等のことを実現するようなコードなんて(ライブラリを実装するのに)書かないよね、書けないよね。…計算量と効果を考えれば開発者には当たり前の話だけど…」というものです。
というわけで、記事に貼り付けられていた「ガウシアンフィルタ(ぼかし)」画像のRed・Greenチャンネルの数値を、3次元グラフにしてみました。それが下の2枚のグラフです。
こうしてみれば、この画像には「ガウシアンフィルタを掛けたような滑らかさ」なんてなくて、見事なまでに近隣4画素からの線形補間がされた画像であることが見てとれます(ガウシアンフィルタはNxNでも計算コストが2Nで済む…とはいえ近傍4点線形補間に比べれば多いですから、”開発者”からすれば当たり前のことだと思いますが…)。
2016-01-31[n年前へ]
■次元ネーミングから「自由度・情報量の価値」を考える
『篠崎愛の「匂いや吐息」をVRで“2.9次元”体験……バレンタインデーに開催』という記事に対する”4Dといい、みんな思い思いに次元数つけるなぁ・・・”というtweetを読み、何らかの自由度や情報量が増えることに対して、世の中は一体どんな次元ネーミング(値付け)をしているのか?が知りたくなりました。
そこで、そんな「○.×次元と自称するもののリストを作り、各自由度や情報量の(自称)価値を眺めてみました。このリストには、3次元プリンタのような「そのまんま」のものは、数勘定に含まないことにします。
- 2.1次元実装・2.5次元実装(基板積層の工夫は0.1〜0.5次元相当?)
- 2.5D印刷(数mm程度の凹凸は0.5次元相当?)
- 2.9次元バレンタイン(”「視覚」「聴覚」「触覚」「嗅覚」「味覚」の五感すべてで、限りなくリアル(3次元)に近い”)
- 4DX(動きや水・香りの追加は(2次元画像に対して)2次元相当?)
こうして眺めてみると、「2.9次元バレンタイン」が(2次元の画像情報に加えて)「聴覚」「触覚」「嗅覚」「味覚」が足されているにも関わらずわずか0.9次元しかプラスアルファとして数えられていないあたりが、次元数デフレというか何か数勘定が間違っているような気がしてきます。