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2012-12-16[n年前へ]

関東平野で富士山が一番綺麗に見える場所!? 

 先日、関東平野のちょうど中央辺りに位置する、埼玉県久喜市に行きました。久喜の辺りから見た富士山は、東京から眺めている時より綺麗に高く見えたのが、少し意外でした。。

 そこで、「富士山を関東平野から眺める時、富士山からの距離に応じて、丹沢(の山)より富士山がどのくらい高く見えるか?」を調べてみました。富士山と(関東平野から見て富士山の手前に位置する)丹沢の山の高さ関係(仰ぎ角の差分)が、地球の丸さを反映しつつ、どのようになるかを計算してみました。それが下のグラフです。横軸は富士山からの距離(km)、縦軸は丹沢の山より富士山が仰ぎ角で何度程度上に見えるかを示しています。また、横軸の最大値は200kmになっていますが、このくらいの距離が「富士山が地平線の下に隠れ・見えなくなってしまう限界距離」です。

 富士山から(というか丹沢に近い箇所から)離れるにしたがって富士山はだんだん高く見え、富士山から135km程度離れた場所で「富士山が(丹沢より)最も高く見える」状態になります。そして、それ以降は地球の丸さの影響が支配的になり、富士山がだんだん低くなっていくのです。

 つまり、富士を綺麗さに驚いた埼玉 久喜の辺りは、ちょうど一番「富士が(手前の)丹沢山麓よりも高く見える場所」になっていた、というわけです。

 地図を広げて、関東平野上に富士山を中心とする直径135km程度の円弧を書いてみると、(もしかしたら)その辺りは絶品の富士山を眺めることができる場所かもしれません。そんな円弧状のどこかに、空気が澄み渡る冬の空の下で、遠く・高くそびえる富士山を眺めに行ってみるのはいかがでしょうか?

関東平野で富士山が一番綺麗に見える場所!?






2014-10-05[n年前へ]

画家が使った「色」を「距離」にした「画家の空間」を描いてみよう!? 

 昨日は、画家の「代表色」を当てる目(色)利きゲームをしてみたので、今日は画家の代表作をGoogle画像検索で収拾し、それら名画に使われている使用色を「距離」として、つまりは色空間での距離をものさしにして、画家の「地図」を描いてみました。

 そんな色空間を眺めてみると、たとえばゴッホが描いた絵画の色空間を眺めてみると、左(上)の領域、つまり、緑(や赤)を主体にしたものよりも、それ以外の青や黄色の世界が「眩しい昼」や「星輝く夜」っぽくて好きだなと、自分の好みを感じたりします。

 あるいは、フェルメールの絵画を集めた世界地図を眺めると、…使われている色の違いというのか、あるいは、その明るさ・鮮やかさの違いというのか、北向きの窓から室内に差し込む光を頼りに描かれた絵はぼんやりとしていて、明るさが足りない日本海側の冬景色…に見えてきたりします。

 ちなみに、「ゴッホの世界地図」を作ってる途中の計算動画は、下のような感じ。まるで、ゴッホの絵画たちがみんなでダンスを踊ってる感じ。マティスが描いた絵画で眺めてみるのも結構面白いかも。

画家が描いた絵画に使われた「色」を「距離」にした、「画家の空間」を描いてみよう!?画家が描いた絵画に使われた「色」を「距離」にした、「画家の空間」を描いてみよう!?画家が描いた絵画に使われた「色」を「距離」にした、「画家の空間」を描いてみよう!?






2016-09-06[n年前へ]

Dual Pixe Raw画像から距離(深度)マップを作成してみる!? 

 撮像素子の各画像素子を2分割して、その情報差を使って任意の場所でオートフォーカスしたりするための生画像データ(Dual Pixel Raw画像)を展開するソフトが公開されていました。 そのツールを使って(微小距離離れた)2視点から同時撮影された画像の情報を元に、言い換えれば2視点(AとB)に記録された光情報をAとA+Bという2形態で記録された画像データとして展開し、写された景色までの距離を各画素毎に算出した深度マップを計算してみました。といっても、やったことは単純で、2視点で撮影した画像パターンの相関をもとに三角測量的に距離を出してみたのが、下に貼り付けた画像です。

 そしてまた、推定した距離画像に、RGB色画像をテクスチャマッピングして3次元的に眺めてみた例が右の画像です。近景を歩く数人と、その後ろに広がる遠景が形作る箱庭のような風景をこんな風に3次元グラフとして眺めてみるのも面白いような気がします。

 ちなみに、Dual Pixe Raw画像から得られた2視点画像を、「視差アニメーションGIF」的に眺めてみたアニメーションは下動画のようになります。立体感をどれだけ感じるかは微妙ですが、割と面白い結果が得られたので、ここにメモしておくことにします。

Dual Pixe Raw画像から距離(深度)マップを作成してみる!?Dual Pixe Raw画像から距離(深度)マップを作成してみる!?






2017-06-04[n年前へ]

江戸の町に鳴らされる「時の鐘」の同期手法の科学と謎 

 江戸時代、時間を知らせる「時報」があった。江戸城を囲むように配置された何カ所もの「鐘」を鳴らして、江戸の町にその時刻を知らせていた。最も最初に作られた「時の鐘」は、今の東京駅や神田駅にほど近くに位置した本石町にあり、「時の鐘」はその後、他にも上野寛永寺や芝増上寺など10箇所以上に作られた。この「時の鐘」が「鐘を鳴らす順番が決まっていた」という解説を読み、いくつか不思議に思うこと(そして興味を感じること)があったので書いてみようと思う。

 そもそものきっかけは、以下の解説中の「①時の鐘は順番に鳴らされ、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるように配置されていた」「②捨て鐘という前振りを行うことで、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにする」という記述である。この解説だけでなく、他の書籍などでもこの記述は見かけるのだが、まずはこの2点に、技術的な興味と少しの「引っかかり」を感じた。技術的興味というのはとくに②について、そして「引っかかり」は①についてである。

 時代によって設置場所と個数には変化がありますが、最初の9ヶ所は、①本石町②上野寛永寺③市ヶ谷八幡④赤坂田町成瀬寺⑤芝増上寺⑥目白不動尊⑦浅草寺⑧本所横堀⑨四谷天龍寺で、この順番で前の鐘の音を聞いて順序よく鐘を鳴らしていたのです。
 江戸では「捨て鐘」と呼ばれる撞き方があり、時刻を告げる時打ちの鐘を撞く前に、先ず注意をひくために三度撞き鳴らしていました。これは、一つ前の順番のお寺の「捨て鐘」を聞いたら、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにするための知恵でした。江戸の「時の鐘」は、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるような位置関係に有ったようで、誤って遅速した場合の罰則はかなり厳しいものでありました。

江戸時代の暮らしと時間

 上の解説には、「①時の鐘は順番に鳴らされ、前の寺の鐘の音が必ず聞き取れるように配置されていた」と書かれているが、浦井 祥子氏の博士論文を元にした書籍「江戸の時刻と時の鐘 (近世史研究叢書 (6))」によれば、順番に鳴らされていたことがわかっているのは、史料からは

  1. 上野寛永寺
  2. 東円寺(市ヶ谷八幡)
  3. 赤坂成満寺
  4. 芝切り通し
の4つであるという。それ以外については、鳴らされ方は正かではない。

 鳴らされる順番がわかっている時の鐘に番号付けをした上で、他の時の鐘とともに地図上に描いてみたのが下図だ。ちなみに、名前を黄色背景としたところは「時計」を備えていたことがわかっている「鐘」である。

 こうして眺めてみると、当たり前のことだが、比較的高い土地に設置されていることがわかる。そうした場所に、高さ8m程度の建物の「時の鐘」を設置したというから、見通しよく鐘の音が伝わったのだろうとは思うが、「上野寛永寺と東円寺(市ヶ谷八幡)の4kmほどの距離」は少し気になる。この距離だと、梵鐘の鐘の音が届く限界距離に近く、現代より自動車音などや音波を遮蔽するビルなどが無いにしても、鐘の音を聞き取りにくい時も生じてしまうように思えてしまう。
 それに対して、東円寺(市ヶ谷八幡)から赤坂成満寺や芝切り通しへの「鐘の音リレー」は1.5km程度の間隔となっていて、こちらはとても自然だ。

 フジテレビ「トリビアの泉」で、梵鐘をヘリで吊して、高度100メートルから落下させたとき鐘の音が届く距離を調べる実験や梵鐘が聞こえる距離実験をしていて、その結果で鐘の音が聞こえる距離が1km前後だった(梵鐘を落下させたのでは、固有振動を最大限にすることは難しそうですが)。江戸の街は現代の東京よりも遙かに音が聞こえやすい…といっても、いつもきちんと伝えるのは難しいように思えてしまう。 当時、鐘の負担金を「聞こえる範囲」の300町〜400町(約3〜4km)の町人が負担したというが、果たしていつも「きちんと聞こえた」のだろうか。

 ところで、秒速340mほどの音速を考えると、上野寛永寺から芝切り通しまで「時の鐘」を伝えるためには、どんなに早くても約30秒掛かる。そして、こうした時の鐘が2次元上に配置されていることを考えると、それぞれの鐘の打ち手は一体どんな鐘の音シーケンスを聴いていたのを知りたくなる。

 「②捨て鐘という前振りを行うことで、遅速なく次のお寺で鐘が撞けるようにする」については、「江戸の時刻と時の鐘)」によれば、まず最初に鳴らされる「捨て鐘」は3打から構成され、1打目の後少し間を空けたあと、2打連続して撃ったという。つまり、モールス符号の「D-・・」のようにして撃つ作法だったという。そして、時刻を知らせる鐘は、時刻の数だけの鐘を「最初は間隔を長く、そして徐々に間隔を短くして」撃ったという。

 梵鐘を撃つ時、鐘を打つ橦木をスイングバックする必要があることを考えると、この打ち方をすることで、「捨て鐘」は「最初の鐘が大きく響き、後の2鐘は小刻みに小さな音で鳴る」ということになる。そして、時刻を知らせる鐘も同じように「音がだんだん小さく・小刻みになっていく」ことになる。この鳴らし方は、鐘の順番や数を聞き分けるために役立つような気もするし、単なる省略的な打ち方にも感じられる。

 何はともあれ、江戸の町に鳴らされる「時の鐘」の同期手法の科学を考えてみると、とても面白そうだ。江戸の町にどんな風に鐘の音が響いていたかを考えてみると、何だか江戸時代にタイムトリップしたような気になってくる。

江戸の町に鳴らされていた「時の鐘」を同期させる手法の科学(と謎)








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