2010-03-19[n年前へ]
■同じものを見るという「奇跡」と「幻」
角田光代の「今、何してる? 」から。
親とかきょうだい、もしくは恋人は友達と、とても親密なある一日を過ごしたとする。(中略)その一日について、ともにすごした人と照合してみると、びっくりするほど記憶が違う。私は空を横切る飛行機を見ていて、彼/彼女は散歩中の巨大猫を見ている。私はサテンで男女が大喧嘩しているのを見ていて、彼/彼女は行列のできるラーメン屋を新発見している。
だれかとともに一日を過ごして、何から何まで同じものを見、うりふたつの記憶を持つという奇跡のようなことは、きっとある。そして私は気づく。恋人でも友達でもない、未知のだれかとも、同じものを見、同じ記憶を共有することは可能である、と。
繰り返し、そんな「奇跡」を夢見ます。そして、いつもこの言葉を反芻(はんすう)するのです。
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
「お笑いパソコン日誌」
2011-10-08[n年前へ]
■日本にジャコビニ流星群が訪れる夜
今日(10月8日)の深夜、明日の早朝には、「ジャコビニ流星群」改め「10月りゅう座流星群」が夜空を飾る、と言われています。りゅう座は北の夜空に浮かんでいるので、今夜は北の空を駆け抜ける流星たちを探してみたくなります。
ジャコビニ流星群は、10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群である。 国際天文学連合 (IAU) による公式名称は10月りゅう座流星群。母天体はジャコビニ・ツィナー彗星。
…と、そんなことをつぶやくと、「ジャコビニ流星打法といえば宇野球一」という声が聞こえます。宇野球一(宇野球児)と言うと、伝説の地獄死闘野球漫画「アストロ球団」の主人公です。なぜ、「伝説の」と書くかと言えば、それはもちろん「単行本にして全20巻(連載期間5年間)という長丁場でありながら、その展開ゆえに試合描写が長く、作中では僅か3試合しか行われていない」という”キャプテン翼も足下にひれ伏す”ストーリー展開であるからです。
様々な魔球や必殺技が乱れ飛び、スポーツ漫画でありながら試合の中でデスマッチを繰り広げ、死者や廃人が累出するなど、異様ともいえる展開であり…
あなたは「ジャコビニ流星群」をご存じでしょうか?「ジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)」はおおよそ「十数年おき(13年おき)」にしか現れませんから、高校生以下の若い人であれば「そんな流星群なんて聞いたことがない」というはずです。また、20〜30代の方であっても知っている人はほとんどいないだろう、と思います。そんな「十数年に一度しか訪れないジャコビニ流星群」が、なぜアストロ球団という人気漫画に登場していたのでしょうか?
それは、漫画が連載され始めた1972年の日本に、タイムマシンに乗って、戻ってみるとわかります。
1972年に(ジャコビニ流星群による)大流星雨が予想された際は、日本でも大きなブームとなり、その予想が外れたことは新聞、テレビのニュースでも取り上げられた。これをモチーフとした曲として、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」(1979年、アルバム「悲しいほどお天気 」に収録)がある。また、1972年から1976年にかけて連載された少年漫画「アストロ球団」では、「ジャコビニ流星打法」という必殺技が登場する。1972年、山本リンダが「どうにもとまらない〜」と歌い、青い三角定規が「太陽がくれた季節」を歌った頃に、日本ではジャコビニ流星群を人々は心待ちにし、しかし、流星はほとんど見られず、アストロ球団宇野球一(宇野球児)のジャコビニ流星打法は「空振り」に終わったのです。
…ところで、流星が夜空に線を描いたとしても、離れた場所にいる人は、なかなか同じ”流れ星”を見るということはできません 。同じ流れ星を見ることができるのは、とても近くにいる人たちだけなのです。 …そんなことを思う時、「同じものを見るという「奇跡」と「幻」ということについて、私はいつも考え込んでしまいます。
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
今年、2011年10月8日から9日の夜、日本にジャコビニ流星群は訪れるのでしょうか。私たちの真上には、たくさんの流れ星が降り注ぐのでしょうか。今年、私たちはたくさんの流星を・同じ流れ星を共(とも)に眺めることができるのでしょうか。
'72年10月9日、
あなたの電話が少ないことに慣れていく。
わたしは一人待った。
遠く横切る流星群。
寂しくなればまたくるかしら、光る尾を引く流星群。
「ジャコビニ彗星の日-The Story of Giacobini's Comet-」
2011-12-11[n年前へ]
■「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」など
最近の「走り書き」を少し整理して、「同じ月を見ましょうか」「女性の超能力」『発想・実装力の魔法のエキス」「秋葉原という宇宙と始まり」「天才の努力」「消し去られてしまいがちな、試行錯誤と自然な繋がりの過程」「通学路の冒険」といった話題。
昨夜は、たくさんの人たちが眺めた「月食」写真を見た。 遠く離れた人たちが、同じ月食を見ることができるのは、月が地上から遙かに遠く離れていたから、だろうか。…これが、地表数十km上空で生じる「流星」だったりするならば、みなが同じ景色を眺めることはできないのだから。(参考:あなたと見たい、流星群 同じ流星が見える距離)
月を眺め・語る言葉を読むと、英語の"I love you."を日本語で伝えようとするならば、「月が綺麗ですね」と書けば良い、と言ったと”される”夏目漱石の言葉を思い出します。
「(誰かと同じ何かを)一緒に眺めたい」という言葉、そしてその言葉を出させるに至る「心」を想像してみると、それは確かに、ひとつの"I love you."かもしれない、とも感じさせられますね。
ある女性の「その場・その先の展開を読む勘と運と、それを支える頭の回転」に驚く。そんな能力は、「場を読む」ことが求められる人生を経なければ獲得し得ないのではないかと、ふと考える。…そうだとしたら「オタクなぼくら」には、そんな超能力を手に入れることは、未来永劫できなさそうだ…と思う。
パノラマ写真で眺める「秋葉原ラジオセンター」の各店は、それぞれの店が、まるで小さな宇宙のよう。そして、 電気街としての秋葉原が誕生した頃の、生まれたての秋葉原ラジオセンターは、(秋葉原で育ったぼくらには)何だか新鮮でとても良いかも。
立体「赤青メガネ」の名刺って、何だかすごく面白い。こういう楽しいことを思いつき・さらに作っちゃうという「発想力と実現力」を育てる魔法のエキスは、街中を興味深く眺めていれば、きっとどこかに落ちていそうな気がする。
林家たい平師匠に、「大喜利をするための技術」について尋ねてみた。あれは本芸でなく余芸です、という言葉の後に、談志師匠は、天井にたくさんの言葉を貼り、あの言葉にはどんな噺をしようか、といつも考えようとしていたという話を聞きました。天才といわれる談志師匠でない凡才の私たちでも、そんな努力をし続けていたならば、縦横無尽にあらゆる話題を有機的に明晰に繋げることが、いつかできるようになるのでしょうか。
本芸を磨こう。
何かができあがるまでには「自然な試行錯誤の過程」があることが多い。しかし、たとえば、完成した技術や理論を説明するに際しては、そうした過程は消しゴムで消し去られ・削り取られて「論理的に必要十分な最小限の説明」がされる。…だから「その発想を追いかけることができなくて、わかりにくい」ということも生じやすい。
夏の朝、ランドセルを背負った女の子たちが、日陰だけを走り抜け学校に向かっていた。冬が始まっている今日は、日向(ひなた)をベースキャンプに、校門に向かい歩く男の子たちがいる。ほんの短い時間に、彼女・彼らは「大航海・大冒険」を楽しんでいる。…それに比べれば、おとなたちの「一日」が短く感じられてしまうのは、至極あたりまえの話、かもしれない。
そんな景色を見て、いつも歩く道とは違う道を通ってみた。すると、いつもとは違う発見があった。だから、こう思う。ランドセルを背負ったこどもたちを見習って、「同じ道を歩かず、なるべく違う道を歩いてみることにしよう」
2011-12-17[n年前へ]
■「同じ月」はみんなで眺められるのに、近くの人しか「同じ流れ星」を見れない理由
『「同じ月」はみんなで眺められるのに、近くの人しか「同じ流れ星」を見れない理由』を書きました。
今週からクリスマスくらいまでの間、冬の澄んだ夜空の向こうから、こぐま座流星群が地球へと降り注ぎます。 しかし、月食と違って、「同じ流れ星」をみんなで眺めることはできません。 なぜ、同じ月食をみんなで眺めることができるのに、同じ流れ星をみんなで見ることができないのでしょうか?
2013-02-15[n年前へ]
■隕石・流れ星は斜め45°に降る確率が一番高い!?
「隕石・流れ星は斜め45°に降る確率が一番高い!?」を書きました。(関連記事:あなたと見たい、流星群 ~ 同じ流星が見える距離)
すると、たとえば大気の厚みを100kmとすれば、地球への鉛直距離100kmを落ちる間に、大気に対して斜め45°に侵入してきた隕石は約100km強ほど横方向にも飛んでいきます(すごく単純に言えば、単なる2等辺3角形ですからね)。 こんな計算をしてみると、流れ星や隕石が「斜めに大きく横切っていく」というイメージは現実を反映していそうだ、と気づかされます。