2009-06-01[n年前へ]
■表に出すもの、内に秘めるものの割合
北村薫の「夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書) 」から。
水鳥の脚使いではありませんが、内に何かを秘めない人はいません。何をどれぐらい表にし裏にするかは人によって違います。どんなにしてもいえないことというのは誰にでもあるのです。・・・ある意味では、その割合こそが、動かしようのないその人らしさを作るのでしょう。
「6月の花嫁」
2009-06-02[n年前へ]
■夢を追いかけることを諦めるなら・・・
映画「フラッシュダンス 」から。
When you give up your dream, you'll die.
夢を追いかけることを諦めるなら、生きてるとは言えない。
2009-06-03[n年前へ]
■コンプレックスの使い方
週刊SPA! 6/9号 「真実のコースター」 第50回 椿姫彩菜 (文:松岡宏行 厚生:岩岸えりか )
セクシャルマイノリティは、お笑いで目立つ人が多いけど、私には人を笑わせる才能はありません。
コンプレックスを笑いに変えられるのは、強い人だと思うんです。でもそれができる人は、世の中のごく一部ですよね。
自分のコンプレックスを逃げ道にしている人もいると思うんです。悲劇のヒロインぶったりして。でも、生きている以上、どんな人でも悩みは絶対あるので。だから私は、自分を不幸だと言うつもりは全然ないんですよね。
2009-06-04[n年前へ]
■星新一の「願望」と「冷めた眼差し」
最相 葉月の「あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫) 」から。
最相 葉月:生活が便利になる、いわゆる”明るい未来”は割と肯定的に描いていらっしゃいますね。
星 香代子(星新一夫人):それは、あの人の願望でしたから(笑)。・・・星は、頭の中で材料を組み替えながら、自分の願望と冷めた眼差しで人と社会の行く末を見つめていたような気がします。
(p.326)
2009-06-05[n年前へ]
2009-06-06[n年前へ]
■「理解して欲しい」でなく「理解したい」
小倉千加子と中村うさぎの「幸福論 」から。「理解して欲しい」でなく「理解したい」
だって、人間のコミュニケーションにおいては、その気持ちこそが最大の武器だったりするワケだもの。相手を理解したいという、本気の気持がね。それこそが「愛」というものの本質ではないかとさえ、私は思うの。
2009-06-07[n年前へ]
■すべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ
山際淳司の「スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 」から。
ふと思い出した台詞がある。ヘミングウェイが、ある短編小説のなかでこんな風にいっているのだ。
「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。要するに・・・・・・」
といって、彼はつづけていう。「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」
悪くはない台詞だ。
2009-06-08[n年前へ]
■それぞれの「物語」が必要とされる「現代の難しさ」
河合隼雄と村上春樹の「村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫) 」の、河合隼雄による「後書き」から。
病を癒すものとして「物語」というのは、実に大切なことだと思っている。現代はそのような物語を一般に通じるものとして提示できないところに難しさがあるように思う。各人はそれぞれの責任において、自分の物語を創り出していかねばならない。
2009-06-09[n年前へ]
■ああ、これだけ損が出来る
北村薫の「朝霧 」の巻末にある、戸川安宣(元 東京創元社 編集者)による「北村さんのこと」から。
「損するのが分かっていても、出さなきゃいけない本て多いでしょう。本屋って、たまたま損するわけじゃぁないのよ。本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。ね、社員のためじゃないの。一億入ったら、≪ああ、これだけ損が出来る≫と思うのが、本屋さんなの」
2009-06-10[n年前へ]
■どうしようもならん”男のロマンとヒロイズム”
鴻上尚史の ドン・キホーテのピアス 719 「あの時代」は、「自分探し」の受け皿だった から。
学生運動をやっていた男性がある大きな選挙の候補になって、投票最終日に「男には負けると分かっていても戦わなければいけない時がある」と演説して、がっくりきたと上野さんは仰ってました。
その候補を上野さんは応援していたのですが、あまりの”男のロマンとヒロイズム”に、どうしようもならんなこれは、と溜め息が出たそうです。
2009-06-11[n年前へ]
■「批評」よりも、「鑑賞」できる知性
文:松岡宏行 構成:ゴウヒデキの「真実のコースター 第51回」から。
人間の知性は、ものごとを批判したり、批評することに使われやすい。批評してると頭がいいみたいで気分がいいが、そんな能力はじつは平凡だ。「批評」よりも、「鑑賞」できる知性の方がはるかに高度である。
2009-06-12[n年前へ]
■「わかりやすい」=「正しい論理」という大きな勘違い
「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」から。本のタイトルと相反(あいはん)している一節をひきます。効果的(それがイコール大切ということとは必ずしも一致しない)なのは、「単純な論理」でなく、「聞き手が納得できる範囲の(単純な)因果関係だ」ということへの前振りの一文です。
よくある勘違いは、「正しい論理を正しく論理的に積み重ねていけば、その話の内容が正しく相手に伝わるはずだ」というものです。
(p.18)
2009-06-13[n年前へ]
2009-06-14[n年前へ]
■誰とも同じスタートラインに並ばないのが一番いい
週刊SPA! 6/15号、西原理恵子×みうらじゅん対談から。
みうら:誰とも同じスタートラインに並ばないのが一番いい
西原:だから、同じスタートラインに並ばない若手が出てくると怖い。
2009-06-15[n年前へ]
■抒情の向こうに潜む絶望と希望
いしかわじゅんのマンガ書評集「漫画の時間 」から、西原理恵子の「はれた日は学校をやすんで 」に対しての言葉。
この作品のほとんどは、確かにすぐれて叙情的なものばかりだ。しかし、もう一度涙をぬぐって読み直せば、そこに違うものも見える。表面的な美しい抒情の向こうに潜む、西原の恐ろしいほどの絶望と、それから胸の底にわずかにのぞく希望とが、読みとれるだろう。
2009-06-16[n年前へ]
■人は好んで「論理」ということを口にするけれど
轡田隆史の『「考える力」をつける本 』から。
人は好んで「論理」ということを口にするけれど、早い話が、それは「直観」を筋道立てて説明することにすぎないのではあるまいか。 (p.200)「論理」という言葉も、普遍的な論理もあれば、主観・直観が姿を変えた「論理」もある。
2009-06-17[n年前へ]
■「他者と付き合う」ということ
鴻上尚史の「表現力のレッスン 」 レッスン10 他者と付き合う から。
「他者」とは「受け入れたくないのに、受け入れなければいけない存在」であり、同時に、「受け入れたいのに、受け入れられない存在」のことです。
「他人」は、関係ない人のことです。苦労して付き合っていく必要も関係ない人のことを「他人」と言います。
ただ、自分の思いを表現するだけが表現力ではありません。表現力は、相手がどんな存在なのかを考える力でもあるのです。そのためには、相手にレッテルを張ってしまうことは、一番もったいないことなのです。
「他者」というやっかいで魅力的な存在と付き合うためには、まず「他者」の事情を知ることです。それが、「他者」と付き合う大切な方法なのです。
「他者」がくれる喜びは、「他人」がくれるものとは、較(くら)べものにならないぐらい強いものです。それは、人と深く付き合ったことのある人ならみんな知っています。
そして、「他者」がくれる苦しみも、「他人」とは、較べものにならないぐらい強いものです。
それが「他者」と付き合う魅力なのです。
2009-06-18[n年前へ]
■男の人に多い、頭が図書館の人。
「ユリイカ2006年7月号 特集*西原理恵子 」での みうらじゅん と 西原理恵子 の対談から。
西原理恵子:男の人に多い、頭が図書館の人。ものすごい知識があって、何を言ってもその歴史なんかを知っていて魅力的なんだけど、経験則がないからすぐにバレちゃう。辞書の中で知っているジェノサイドや残酷な歴史を紐解いてもらっても困る。実際にその場で血や膿や銃弾の匂いを嗅いでいないと、聞いていてちっとも面白くない。中学や高校の教師の授業とまるで同じ話になってしまう。
2009-06-19[n年前へ]
■一流も二流から始まる
1985年に発売された、グラフィケーション編集部「科学技術を考える 」中での、小関智弘氏の言葉。
つまり一流のことができる人は、その前はやはり1.5流であり、その前は二流でした。そこを経てきたから一人前があるのであって、(中略)そこをいまは見損なっているんじゃないかという気がしてしょうがないんです。
2009-06-20[n年前へ]
2009-06-21[n年前へ]
■僕の中の高速列車は・・・
ケツメイシ 「トレイン 」
僕の中の高速列車は 今日もガタガタ言いながら
夢と言う名の駅に向かってひたすら走ってる
誰悠々と走ってく
その積荷の重さ誰が知ってるだろう
でも構わず音立て 飛び立て夢の空へ
動き出せ 僕の中の詩人のようなキザなハート
飛び出せ 僕の空へ 雲掻き分け飛んで行け
2009-06-22[n年前へ]
■人間の心は無限の資源で・・・
ジェイムズ・P・ホーガン「断絶への航海 (ハヤカワ文庫SF) 」"VOYAGE from YESTERYEAR"から。
無限から何かを引いても、残りは無限です。
人間の心は無限の資源だって言ったけど、でもそれは無駄使いしないとしての話だ。これ、面白いパラドックスだと思いませんか?
2009-06-23[n年前へ]
■二元論と混沌と未来
白倉伸一郎 「ヒーローと正義 (寺子屋新書) 」から。
最後に、二つのことを確認しよう。
一つには、わたしたちの善悪感は、もっぱら<わたしたち><あいつら>の二元論に還元されるということ。
もう一つは、それでもわたしたちは、混沌が大好きだということだ。
わたしたちが、そうして混沌を愛しているうちは、まだ望みはある。
2009-06-24[n年前へ]
2009-06-25[n年前へ]
2009-06-26[n年前へ]
■「コメント」と「想像力」
鴻上尚史の「“祖国なき独立戦争”を楽しむために―ドン・キホーテのピアス〈10〉 (ドン・キホーテのピアス (10)) 」から。
すべてのものは、コメントし得ると、国民が思い込んでしまったのは、いつの頃からなのでしょうか?
世の中には簡単にコメントできないことがある。そう気づくのは想像力の問題です。
2009-06-27[n年前へ]
■あらゆる可能性を試し・自分の限界まで夢を追い続けていけば・・・
進路に迷う人は一度は手に取ってみるべき、ズーニー山田の「おとなの進路教室。 」から。
想いも、能力も、生かす方向が大切だと思う。
私は、夢は追い続けていれば、必ず叶う、というような、甘いことを言いたいのではない。ただ、それだけ、執着心があれば、いい方向に向ければ、たいがいの困難は越えられるのではないか、と言いたいのと。
そして、どうしてもあきらめなければならない場合、自分で、ヘンなわりきり方や、あきらめの線引きをしなくても、ひたすら夢を追い続けていれば、納得できる「終わり」は、向こうから来る、と言いたいのだ。だから、何も迷わず、夢はまっすぐ追っていいのだと。
あらゆる可能性を試し、自分の限界までやって、必然的に迎えた「終わり」であれば、もう、体が、「あきらめきれる」のではないか?
「くずれ」ない生き方
2009-06-28[n年前へ]
■誰でもすぐ納得するようなことは、たいがい、なんらかの意味で不正確だ。
色川武大の「うらおもて人生録 (新潮文庫) 」から。
誰でもすぐ納得するようなことを書いたってしょうがない。そんなことはたいがい、なんらかの意味で不正確だ。人生の万象(さまざまの形)はいずれも、ちょいとむずかしい。なぜなら、真実というものはすべて、二律背反(相反する二面)の濃い塊になっているからだ。
2009-06-29[n年前へ]
■「工科」と「理科」
松本哉の「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る (集英社新書) 」から。
「工科」ほどすぐに何の役に立つということでもないし、腹の足しにも、金もうけにもならないが、こんなことを考えるのが「理科」だ。
2009-06-30[n年前へ]
■有限要素法を理解するには、プログラムリストが最も適切な表現手段である
20年前に出版された(今ではミステリ作家として有名な)森博嗣の「C言語による有限要素法入門 」から。(ちなみに森博嗣には「C言語によるマトリックス演算 」という著書もある)
本書は、有限要素法をC言語で実行することはもちろんだが、むしろ、C言語によって有限要素法を理解する目的に適している。有限要素法を理解するには、プログラムリストが最も適切な表現手段であるからであり、C言語のリストは、目に優しい端正なコーディングが可能である。
1989年1月 森博嗣