2005-05-05[n年前へ]
■「頭の中の妄想」と「証拠」
西村 肇氏の次の言葉を眺める。
本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示…時折、頭の中の理屈は妄想に過ぎない、と思うことがある。頭の中の妄想に対して、その「正しさへの近さ・確からしさ」を決めるのは、人間(の頭)ではなくて、(自然科学で言うならば「自然」というような)物証なのだろうと思う。それが、(あえて理系・文系と二つに強引に分けるならば)「理科系」の素晴らしさ(同時につまらなさ)かもしれない、と思うことがある。
2005-06-25[n年前へ]
■「遠くの景色」
たださんの日記の写真を眺めた。この写真の画角の少し外、右の外に私はかつて6年間住んでいた。写真の右後ろに見える「丸山」の頂上まで歩いて5分で行ける、そんな場所に住んでいた。「丸山」の頂上までは5分ぽっちなのに、ランドセルを背負って通っていた分校までは歩いて1時間かかる、そんな場所だった。信じてもらえないかもしれないけれど、小学校に入るまでは蒸気機関車が唯一の公共交通機関であるような、そんな場所だった。テレビはもちろん、NHKしか入らなかった。ガチャガチャとチャンネルを廻す必要なんかなくて、スイッチが一つあればいい、そんな場所だった。
山の下からほんの1, 2分で登ることができる丸山の頂上は、景色も良くてとても気持ちが良かったけれど、赤蟻の巣がところどころにあって、気をつけて寝ころばないと泣きたくなるくらいに痛く噛まれてしまうそんな場所だった。空は藍色のように蒼く、蒼くない空があるということを知ったのは、10歳の時に東京へ引っ越してからだった。冷たくない水道水がある、ということを知ったのも東京へ越してからだ。
きっと、今頃の高原野菜の出荷シーズンの畑の中や、その一帯で数軒しかない店先には、あの頃の同級生達がいるに違いない。他の学年と違って、1学級に「11人もいた」あのクラスの同級生達が何処かにいるに違いない。きっとあそこに今もいるんだ、と何故だかとても信じてみたいような気がする。そこにいなくても、きっとみんな何処かにいるんだ、と考えてみたいような気もする。
2005-07-09[n年前へ]
■ファイト
西原理恵子が描くNHK連続ドラマ「ファイト」のエンディング・ギャラリーを眺める。「まえをみる ひとつだけすすむ。」の言葉と、その中に描かれた人の表情が一番のお気に入り。
2006-03-04[n年前へ]
■「1984年」の日本の姿
「1984年」と言えば、ジョージ・オーウェルの小説1984年が思い浮かぶ。1984年という数字は、長くにわたり、未来の象徴の年号だったはずだ。…しかし、今ではそれはかなり過去の年号になってしまっている。
新渡戸稲造の五千円札や夏目漱石の千円札が発行され、グリコ・森永事件が起き、写真週刊誌「FRIDAY」が創刊された1984年の日本の姿を、スミルノフ教授経由で眺める。
2006-10-02[n年前へ]
■Morphovision
貼り付けた動画やリンク先は、「高速に回転する物体対して光を走査照射することで、立体物が変形する視覚的イリュージョンを作り出す」Morphovision.