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2007-08-01[n年前へ]

今日書いたメイル(に追記した内容) 

 Apacheが停止していたのは、確か、3月上旬くらいまでで、その後は(色々未設定のまま)稼働しています。ただ、Railsへの移行やら、複数サーバ群への移行やら…をしている最中…という具合で、今でも不安定なまま稼働中です。 そういう具合で不安定な状態ではあるのですけれど、それすなわち、「成長している」という感じです。 前よりも、色んなことができるようになると思います。気長にお待ち下さい。

2007-08-02[n年前へ]

n年前へ 

 from n年前へ.

 学生時代はずっと自転車をやっていた。
 就職して数年した頃、「自分の知識・技術を向上させる機会」や「考えたことを残しておく場所」がほとんどないことに気づきました。
 自宅から富士山が見える。この季節には、五合目から山頂まで何本も「光の道」が見える。
相棒の上島は、その後、外務省の外郭団体に就職し、南米のベネズエラあたりで嫁さんをもらい(すごい美人らしい)、その後はどうなったかわからないが、元気でやっているだろう。
そこで、自分が知りたいことを定期的に学び・考えてみることにしたわけです。
 大勢の登山者達の灯りが連なって、「光の道」が見えるようになる。まるで、アリがえさを運んでいるようすを上から眺めている感じだ。

2007-08-03[n年前へ]

毎日の景色 

 from n年前へ.

 我入道を歩く。浜辺を歩いている親子や、波に向かって走っている家族や、そんな海を眺めている中国人風の青年を眺めてみた。
 「愛情はね、経験則というか、 相手を決める手っ取り早い方法ですよ」
 少なくとも、「写真に写っている風景」は「誰もが眺めたときに見るだろう景色」ではなくて「その撮影者が見ている景色」なんだから。撮影者が切り取って残そうと思った景色なんだから。

2007-08-05[n年前へ]

記事と勉強 

 from n年前へ.

 記事を書かれるのも、書くのもどちらも人なんだよなぁ。
 結局は「万事に王道無し」なんですよね。だって、この内容「勉強そのもの」ですもの。要約してしまうと、「勉強しないとダメだよん」と言っているという…。
「幸福の繰り込み」テクニックは、物質的・経済的・社会的権力等にどれだけ恵まれているか)は気にせず、「自分がどれだけ幸福だと思っているか」ということだけを上手く考える知恵である。

2007-08-08[n年前へ]

Wikiの不評 

 画像処理とWikiをフェミニンに包むプログラムを作り、ノートPCで動作させつつ、周りの人に意見を聞いてみる。Wiki部分が実に不評。というわけで、化粧直し中の8/8。from n年前へ.

 簡単に結論のでないやっかいな問題を、… 「問いかける」対象が、簡単に答えを言うようになれば、人間は思考を放棄しバカになるのです。
…プログラミングが楽しく感じることがあります。…でも、僕はこの状態に自分が陥ると、危機意識を持ってしまいます。簡単な方へと逃げているのではないか? …成長していないのではないだろうか? …
 午前は武蔵小杉で、午後は渋谷。夕方近く、色んな話を聞きながら「大きい会社と小さい会社の違い」について、少しばかり考える。同じように、「年をとった会社とまだ若い会社」の違いについて考える。

2007-08-09[n年前へ]

夏の日 

 蒸し暑く蝉の声が幾重にも響く、けれど、とてもとても気持ちの良い夏の日。 from n年前へ.

 想定読者の範囲はかなり狭まるだろうし読者の数も減るだろうなと思いつつ、狙った人にきちんと届くことを一番に考えた原稿です。
「 記憶色 と同じで、記憶顔ってのもあるんじゃないのかなぁ?」「意識や記憶の中の他人や自分の顔っていうのは、必ずしも現物に忠実というわけじゃないだろうし、それを現物に忠実にしてしまってもマズイ場合もあるとかさ」「つまり、ちょっと美人化した位が記憶顔に忠実なんじゃいのかな」

2007-08-10[n年前へ]

画像処理 + Wiki 

 「画像処理 + Wiki」のプログラミングにハマっています。それは、作り上げるのが楽しくてハマっているという意味でもありますし、作り上げるのに苦労してハマっているという意味でもあります。当初の心づもりであれば、今日辺りからはサーバを仕立てて動かす予定だったのですが、日程の遅れ2週間…という感じです。というわけで、12日αテスト開始…という感じになりそうです。

 ハマっている理由は、当初「画像処理プログラム」だったものを、Wikiと組み合わせたくなったプログラマが「画像処理 + Wikiプログラム」に変え、そのWiki部分のボリュームを増やしたことにあります。そして、もう一つの理由が、「画像処理 + Wiki」のプロトタイプをノートPCで動かし、想定ユーザ層に重なる人たちに見せてみたところ、Wiki部分は「何が何だかわからない」「どう使うのかわからない」と言われたからです。というわけで、「何が何だかわかるようにする」化粧直しにハマっています。

2007-08-11[n年前へ]

ランニング 

 このところ、空いている時間は全て「画像処理Wiki」プログラミングに使っている。それはつまり、「空いている時間」以外は他のことをしているということでもある。
 最近の日課の一つが、体脂肪率ビックバン対策の「一日あたり」平均10kmのランニングである。「一日あたり」ということは、一日走ることを休むと、他の日に20km走らなければいけない、ということになる。だから、2日間走らなかった今週末の今日は1日辺り30km走らなければならない。…というわけで、今日は3時間近くかけて、海沿いの県道をゆっくり走った。「ゆっくり走る」ようすを他人が見れば「歩いている」というように見えるかもしれない。
 以前は、長く続く浜辺を走っていたので、同じような景色が続いて飽きがちだった。けれど、ここ3週間ほどは伊豆半島の入り口あたりまで走っている。夏の小さな漁村や、浜辺沿いの小さな島を眺めながら走っている。
 n年前の日記を読むと4kmのランニングで疲れてる。こんな低〜い地点からスタートしていると、なんだかいまだに進歩している感じでうれしい。

「ポシェットの落とし物が届きました中にはオカモトさんが入っています」というアナウンスを聞いたことがあります。
 Youtubeで「タブレットPCで動いているMacOS X」を眺めることができるようですこんなMac(PC)が早く登場すると、面白いでしょうね。
 日常から脱して、スリルと冒険があって、新しい何かが見つけられる... そういったものを探してこそ、いや探そうとする心こそ本当のバカンスではないでしょうか

2007-08-13[n年前へ]

夏の日 

 数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?
 「自分がおぼろげに感じていることを上手く説明できるものを、好んで読む」人が多いような気がする。 「自分を正当化してくれるもの」を好む
 出会うことよりも(必要なときに)再会することの方が困難だ、というのはよくありそうなことです。「とりあえずググる」を卒業!できない…
 バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら
 逆に言えば、「おまえがおぼろげに考えていることや、やろうとしていることは間違ってるぞ」と指摘するような本や文章はほとんど好まれることがない、ということになる。
 それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。

2007-08-14[n年前へ]

夏の日 

 県道沿いの小さな小さな港には、いつも10人くらい人がいる。いつだって、それだけの人がいる。それだけの人しかいない。60過ぎくらいの人が3人と、中国人が3人と、カップルが一組と、2,3人のこどもだ。
 天気が良い日には、強い日差しと遠くの積乱雲が、その人たちの上にある。風向きが悪い日には、誰もいない。

 RFIDタグ付きランドセルで仲良しグループ情報を手に入れ、そして、先生たちはどんな風に小学生に接していくんだろうか。               2006.8.14
 我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。  3年B組金八先生 第16話 1980.2.8
 彼氏が他の女に走っても取り戻せるかもしれないけれど、男に走ったらもう戻ってこないような気がする」「彼氏が男に走ったら、私は一体何だったの?という気になる」
 人は「人口の多い方向を魅力的に感じて惹かれ動いていく。だから伝染病もそんな風に伝染する」
 数学は人生の役に立つと思いますか。

2007-08-15[n年前へ]

DX7とジャングル・ジムと夏の日 

 YAMAHA DX7が全盛のあの頃「ジャングルジムのてっぺんに行けば、別のパラレルワールドに行けるかも」と歌うこの曲はポップでとても好きだった。
 スパイ大作戦が大好きだった頃、スパイ大作戦に出てきそうなスーツケース状キーボードのYAMAHA CP80の音があふれていた。街中のレコード店には、鈴木英人が描くナイアガラ・トライアングルのLPジャケットが飾ってあって、古ぼけたスタジオには、CP80が鉄琴キーボードのローズが置いてあった。そんな時代、"FM変調"というコトバと新鮮な音とDX7が登場した。
 上の空をあおぎ眺めた写真でも、下の路地をうつむき眺めた写真でも、眺めた景色を送って頂けたら幸いです。
  そういえば、夏の暑い日にレンタルレコード店 You & I(友愛)からレコードを借りた。自転車の前カゴに入れて、花小金井から小金井街道を走って帰ると、レコードがダリの絵のようにゆがんでいた。今日は、その日と同じくらい暑い夏の日。

2007-08-17[n年前へ]

永井ペンギン博 

 (FM STATIONの表紙や山下達郎のFOR YOUのジャケットは鈴木英人が描いていたが)大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次・佐野元春・杉真理らによるナイアガラトライアングルのLPジャケットを描いていたのは鈴木英人ではなく永井ペンギン博だった、と教えて頂きました。

A面で恋をして…ドーナツ盤の上で
 あの時代に流れていた"共有"印象が、あんな近代的な版画で表されるようなイメージだったのでしょうか。

「面白いこと」 

 暑い夏に考えたこと from n年前へ

自分にとって「面白い」か「否」か、「好き」か「どうでもいい」か、という軸で行動している理系な人々なら、よく見かけるかもしれません。
マンデルブロしか能がない専用のハードウェアを作ってしまいました。…と言うのは簡単なのですが、完成まで実に丸2年かかりました。
なまじ才能をひけらかしていると、天寿を全うできない。
「どのように手振れしたか」がわからないシステムの場合、「自然な画像とはどのようなものか」という理解が重要になります(多分)。
1914年のイギリスとドイツはクリスマスに一時休戦に入る。イギリス人将校とドイツ人将校はお互いの家族の写真を交換して見せ合う。他の兵士達はサッカーに興じている。
私はパンの耳で食いつなぐような貧乏学生だったので、人件費は労力でカバーが基本方針でした。ゆっくりと時間をかけて、とにかく楽しく設計した事を覚えています。
例えば、二次元キャラが写っている画像、あるいは、三次元の現実人間キャラが写っている画像…どんな画像かによって「自然で、あるべき姿」は異なります。
建築の材料には使えない曲がりくねっている木そんな役立たずの木は、切られることがなく天寿を全うする。

2007-08-19[n年前へ]

「画像処理+Wiki」WEBアプリのαスケッチ版リリース 

 「画像処理+Wiki」 WEBアプリのαスケッチ版をサーバに置き、アクセス可能にして、基本デザインの確認・問題出しを始めました。アクセス可能にしたつもりではあるのですが、パス設定など不十分なところがたくさんありそうです。また、データアクセスに際し、現在時点ではキャッシュ処理を有効にしていないため、初回ページアクセスに非常に時間がかかります。
 とりあえず、「わかりやすく・単純」にしようとしたら、ここ何日かの間にWiki部分がほとんど見えなくなってしまいました。

ところが、戦闘的学友は闘争に忙しすぎて授業に出ておらず、河合の顔が分からないという。
。仕方なく図書館で河合の著書を借り出し、後ろの方に載っていた著者プロフィールの顔写真をコピーして回した。 ものすごく粒子の粗いコピーで、人相はよく分からない代物だった。

2007-08-20[n年前へ]

暑い夏が続く。 

 暑い夏が続く。昼時のアスファルトの上に座り込むと、タイ焼きを焼く鉄板の上のよう。

> 本当は全部理論で説明できたらかっこいいのですが。
 子供の頃好きだった超合金に自分がなっちまった。
あなたがどんなに賢くても、視聴者の方がより賢いことを認識しよう。
 昨日から、画像処理 Wikiをα公開し始めました。暑さがおさまり秋が始まる頃には、さらにβ公開する予定でいます。「こんなものを作っています。アドバイスでも頂けたら幸いです」という「βテスターになって下さい」のお願い"SPAM"メールを出すこともあるかと思います。
 A dream is a wish your heart makes.If you keep on believing, the dream that you wish will come true.
「全部理論で説明できたら…」とたんに味気なく、つまらなく思えたりはしません…?
 その際は「適当に楽しんで頂けたらうれしいです」
 大いに考え、大いに苦しみましょう。

2007-08-21[n年前へ]

コメント文の入力ミス 

 Railsで「Wiki+画像処理」アプリを組んでいると、C++(と少しのRuby)で画像処理部分を書き、RubyとJavaScriptとCSSでデータ管理とWEB表示を書く、という作業になる。こんな作業をしていると、「コメントの入力ミス」でエラーが出ることが多い。つまり、

// あとで書く # とりあえず /* こんな感じ */
なんていう書き方を間違えてエラーを出してしまうことが多い。C++やJavascriptで # hogehoge なんて書いてしまったり、Ruby で // hogehoge なんて書いてしまったりする。

 それぞれの言語がまだよくわかわっていないし、簡単な内容しか書いていないので、「プログラムっぽい」部分の違いで困るということはなく、単にコメント文で間違えてしまうようだ。あるいは、口で喋るようにスムースにタイプできるのが「コメント部分」だけで、それ以外の箇所は考え考えタイプしているせいなのかもしれない。

 発想は豊かでないけれど、他の人を丁寧にサポートできる人」…やはりその人たちはスゴイ人だと思う。

2007-08-22[n年前へ]

夏の武蔵溝の口 

 夏が始まろうとする頃、武蔵溝の口で制御工学三昧の何日かを過ごした。

「全部理論で説明できたら…」とたんに味気なく、つまらなく思えたりはしません…?
 午後は4時間集中する。今日はそんな夏が始まる頃と同じような風と温度の一日。
 理論ですべてを説明できたとしても、理論の説明をすることが難しいので大丈夫

一日一歩 

 "Sometimes I wonder how you can stand being just a dog."  (人間じゃなくて)犬でいるのって大変じゃない?
 ぼくは、進歩しようとしない人を好きではない。
「のび太君、百年の歴史を見るには百年かかるんだよ…」
 あるいは、「誰でもみんなやろうと思えばできる」と信じる力こそが、欠かせない才能の一つなのかもしれない、とも思う。
"You play with the cards you're dealt, whatever that means."  君だって自分に配られたカードで勝負するしかないんだろ?
「(何かを) - やろう - と努力をちゃんとできること」も「才能の一つ」なのかも、と思ったりもする。

2007-08-23[n年前へ]

WIKI+画像処理 

 空いている時間は、テスターのアドバイスを参考に、「WIKI+画像処理」アプリをスケッチし直している。このアプリは、一番最初にノートにアイデアを描いた時は、"Cinderella Magic"という名前だった。だから、そのイメージを忘れないように、今でも隅っこにこんな文字を入れ込んである。

A dream is a wish your heart makes. If you keep on believing, the dream that you wish will come true.
 当初は、画像処理の拙い部分をWikiで補い、コトバで書ける単純な画像処理マクロを実装し、ついでに、別に考えていたWiki アプリを合体させる予定だった。つまり、あまりにもアイデアてんこ盛りだった。

 スケッチを人に見せ、ヒアリング作業をするたびに、Wiki部分が見えなくなっていく。この調子でいくと、αテストが終わる頃には見た目「画像処理アプリ」になってしまうかも。

うれしい一日 

 wgetでコンテンツをダウンロードしたサイトが二つある。そして、ファンレターを書いたサイトが一つだけある。wgetでダウンロードしたサイトは、「今日の必ずトクする一言」で、wgetでダウンロードもして、なおかつ、ファンレターも書いたのは、もちろん「ちゃろん日記(仮)」だ。その観察眼と、その目が眺める景色と、その文章がとても好きだった。

 だから、「ちゃろん日記(仮)」は更新が途絶えてからも、時折、眺めに行っていた。そういうわけで、今日も、眺めに行くと、「ちゃろん日記(仮)移転のお知らせ」と、更新されていた。

 思えばこの数年でweb日記はブログに進化(?)し、いまや1人1つはブログを持っているイキオイな時代です。

2007-08-24[n年前へ]

夏の常磐線 

 夏の常磐線の中で、「Wiki+画像処理」を組む。日差しが強い景色を見ながら、クーラーの効いた列車の中でコードを書くのは楽しい。「女性向け」「画像処理」「Wiki」という、上手く混じり合いそうにない3つのパーツを、混じり合わせて一つにするとどうなるだろう?と考え、作り始めたアプリの姿が見えてくると、達成感がある。
 もちろん、混じり合いそうにない3つのパーツは、今でも上手く混じり合っていない。けれど、作っているソフトが姿を現してくるさまを見のは新鮮で楽しい。というわけで、イメージ・スケッチを元に、αテスターの方の意見を参考にして、大幅に作り直す作業に入ります。また、同時に、ノートPCでの開発作業から、サーバ用PCを組み立てて、サーバ上での作業に移行します。

2007-08-25[n年前へ]

技術エトセトラ 

 海辺を走ると、湿度は高いけれど、温度が低い風が吹いている。

 (半ば強引に)「寄贈してもらった」キューブPCにサーバ環境をセットアップして、rake migrateすると、コア温度が高くならないのがうれしい。いつも使っているノートPCでは、WAITをかけずにCPUを回すと、すぐにアッチッチになって、リブートしてしまっていた。

 最初、「良いところ」に目が向く。「良いところ」を拾い上げ大きくする。 ところが、しばらくすると「悪いところ」だけを眺め続ける作業が続く。
 前者も、そして、後者も、新技術が普及していくためには必要な過程なのだと思う。
 とてもシンプルに「手を動かしている人が一番エライというのが、技術の世界の素朴で素晴らしいところでもある思っている。
 関東弁の「偉い」だけでなく、関西弁の「えらい」の意味も加えて。

2007-08-26[n年前へ]

夏の終わりの浜辺の音楽 

 湿度が高いけれど、涼しくなってきた夏の終わり。風が吹く浜辺沿いでは、昨日は浜茶屋だった場所で、ビールやカクテルが売られている。夏の最後の風と、少しのアルコールと、流れる音をを楽しんでいる人たちは、とても心地よさそうだ。
 風吹く浜辺では、気持ちよい音楽を体で感じることができる。少し離れたところでは、アコーディオンとバイオリンの音が、ウッドベースの音に支えられながら流れている。

2007-08-27[n年前へ]

夏の終わり 

「困っているんですけど」って言われても困る。
将来を決める公式などありません。

2007-08-28[n年前へ]

ファッション・キーワード 

 画像処理WikiとWikipediaを繋げるコードを書いた。コードを走らせながら、画像処理Wikiが作り出したファッション・キーワードの数を数えてみると、約1000語だった。Wikipediaから抽出し登録したキーワード数は約40万語。作り出された1000語のキーワードの説明は、Wikipediaには全然無い。けれど、@コスメにはその説明が(散らばりつつも)書いてある。Rest of Wikipedia の世界は大洋のように広い。
 書いてるコードが一段落したら、それをそのまま置いてみよう。誰かが、そんな世界を繋げて狭くするかもしれないし。

越前屋表太と海辺の景色 

 夏の終わり、太陽が真上に昇る頃でも、風が涼しい。

 越前屋俵太がとても好きだった。街を歩く人々やあるいは、犬や猫にインタビューを続ける姿がとても楽しく面白かった。
 水に反射して写る空や草は、偏光フィルターをかけて覗く世界の様にとても鮮やかで美しい。鏡に反射して映る道や水に反射して映る世界にとても惹かれる。
 スーツを着て海に入り、「わたくしを含む生物がここから生まれてきたのです」と言いながら潮に流されて(画面の端に消えて)いくという状況が笑える。
 東京から長野まで歩いた。子供心に「歩き終えたら、何かになれる」ような気もしたけれど、結局そんなこともなかった。
 世界のどこであっても、人…、できれば猫でも犬でも出会った生き物を笑わせたいです。

今更ながら…のRubyハマり 

 これまで、Perlでしていた作業をRubyに変えた。物忘れが激しいので、すでにPerlの文歩を忘れてしまった…ということもあるけれど、データ処理をすることが多い仕事では、Ruby(単にArrayクラスのおかげなのかもしれないが)の方が楽に感じるようになったからだ。
 ふと、気づいたことがある。なぜか、ある言語を勉強しようとして、他の言語がわかるようになったことが多いような気がする。Perlを勉強しようとして、始めて、Mathematica が少し理解できるようになった。WebMathematicaは、もちろん、eRbの理解を早めてくれた。そういえば、Photoshopのプログラミング・マクロ記述可能なプラグインを作ろうとして、Perlの作りやMatLabの作りがほんの少しだけ理解できるようになった気がする。

 暗い星を眺めようとする時、その星を見つめようとすると、その星は見えなくなる。網膜の感度分布のせいで、どうしてもそんな風になる。だから、暗い星を眺めようとするなら、その少し横を眺めなければいけない。何だか、少しそんな感じだ。

 ここ半年に覚えようとしたのは、WebMathematica, Ruby, Rails, Matlab という辺りだ。これらは、何に繋がっているんだろうか。

2007-08-30[n年前へ]

機械が生成するコトバ 

 風の吹くまま、気の向くままに、画像処理+Wikiプログラムを書く。今の風と気は、画像処理と高速化の方向に吹いている。画像を繋げる「画像Wiki」の部分は限られた人のコトバか、機械が生成するコトバに限定しよう。だから、明日の夜は、そんな「画像処理マクロ言語」を久しぶりに書いてみよう。

あちこち寄り道しながら歩いていても、しばらくして振り返るとそれなりの道になっていると信じて。
人生は気長な一筆書きだなぁ…。次の世界は…どんな感じなんでしょうね?
技術者の場合は、関係なんかいくら言ってもしょうがない。何か現実にある性能を発揮するものをつくって見せなきゃいけない。
次の点へと線を繋げていくと、いつの間にか一つの絵になっていく

2007-08-31[n年前へ]

n年前へ 

 因果関係の「因」は、因縁生起の「因」だ。と、ふと感じたのは、n年前の景色を眺めたからだ。

長岡京駅近くのレコードショップに「長岡京が産んだロックスター 種ともこ」というチラシが飾ってあった。
20年前の春、始めて長岡京に行った。第九を歌うために、西友の横の路地を歩いて長岡京市民ホールへ行った。

 それまでは、300 bpsのカンサス・シティー・スタンダードならぬ、1200bpsのサッポロ・シティー・スタンダードで、茶色い磁性体テープのカセットテープレコーダに刻まれた"パッチもん平安京エイリアン"の長岡京エイリアンと、「マンガ日本の歴史」の中の数ページで描かれた長岡京しか知らなかった。つまり、何の印象もなかった。
 しかし、未来に向かって「続く」ものであるということが、かろうじて種々のマイナスを乗り越えうる契機を秘めているのだ。

 その年の冬は、試験シーズンの大学にも行くこともなく、毎日のように長岡京の発掘現場に通って土を削った。その後、長岡京で暮らす人たちや、長岡京に超してきた人たちに会い、今に至っている。